2010年10月25日

不思議

僕の姿を見つけて、どうしても話したくて・・と、呟いた時の彼女の唇は、微かに震えていた。

二度と会うことはない、二度と会いたくない・・と、そう思い続けていた。
その薄穂が、突然僕の前に現れた。
本当なら一大事なんだろうが・・・不思議なことに、僕は何とも穏やかな気持ちだった。

それは、自分でも意外なほどで・・
心をかき乱されることも無ければ、彼女を恨みがましく思う気持ちもなかった。


僕は、温まるから・・と言って、俯いたままの同級生に珈琲をすすめた。


「どうして、僕があの会社にいるって分かったの?」
「・・教授に聞いたの。それで・・駅で待っていたら会えるかなと思って。」


そう言えば・・。
帰国の挨拶に伺ったときに、就職先はどうするのか・・と教授に問われて。
留学先で世話になった人の紹介で今の会社に決まった・・と答えたんだっけ。


「紫苑くん。元気そうね。」  
「ああ・・。君も元気そうだ。 アイツは?ダザイは元気?」
「・・えっ?・・えぇ。 元気だと思うわ・・。」
「そう。じゃぁ、良かった。」


――元気だと思う・・。
彼女の答えに、引っかかるモノを感じたけれど、僕は気付かないふりをした。


「いつ、帰国したの?」
「2ヶ月前。」
「紫苑くんが留学したって、教授から聞いたときは驚いたわ。余りにも突然だったから・・。」

「私のせい・・?」
「いや・・違うよ。」

「あの人が・・紫苑くんと同じ事務所で働くって決まったときは、私も驚いたのよ。」
「ダザイは・・今もそこで?」
「いいえ・・」

・・半年と続かなくて・・・と、彼女は首を振った。


時計を見た。
長い針が「6」のあたりを指していた。


「私・・。紫苑くんに謝らなくちゃいけないわ。」
「謝る? どうして?」
「私、紫苑くんの優しさに甘えすぎていた。」
「そんなことないさ。」
「私・・ずっと気付かなかった。紫苑くんが、私のことをどう思っていたのか・・。」
「もう過ぎたことだ。」



「もう、過ぎたことだよ。」  

僕は、同じ言葉を繰り返した。
カップを持つ彼女の指先が、僅かに強張った。

「・・紫苑くん・・・。
 で・でも、私・・紫苑くんに酷いことをしたわ。
 あなたの気持ちを踏みにじるような酷いこと・・。 そうでしょう?」
「もう、気にしてない。 もう、終わったことだ。」


強がりでも何でもなく・・本当に、心からそう思えた。

流れた年月がそうさせたのか・・それとも、僕の中に起きた革命がそうさせたのか・・。
それは分からない。

けれど・・。
僕の記憶の片隅に、しっかりと陣取っていたはずの薄穂は、
いつの間にか、きれいさっぱり、完全に浄化されていた。



「僕はね・・。

僕は、強張った表情のままこちらをじっと見つめる同級生に向かって、ゆっくりと話しはじめた。

「僕はね・・。君を、愛していた。
 そりゃ、赤面するほど青臭くて、子どもじみた想いだったかも知れない。
 一度も言葉に出せなかったけれど・・あの頃の僕は、本当に君を愛していた。」


「紫苑くん・・。」
「でも・・。全ては過ぎたことだ。今の僕は、もう・・」
「紫苑くんっ!」

彼女が、僕の言葉を遮った。
  


Posted by lolynice22 at 15:34